魂動デザインの生みの親とも言える存在で今もマツダデザインのTOPである前田育男さん。
同じくマツダのデザイナーだった父親の前田又三郎さんとの特集記事が公開されています。
Design Mazda em família: “Tal pai, tal filho”!
すでにご存じの方も多いかと思いますが、現在のマツダデザインを取り纏めている前田育男さんの父親である前田又三郎さんもマツダのデザイナーとして活躍。
前田又三郎さんは初代マツダデザイン本部長としてSA22型RX-7のデザインを担当。
前田育男さんはRX-8のチーフデザイナーを担当後、2009年からマツダデザイン本部長に。
親子2代で「マツダデザイン本部長とロータリースポーツのデザイン」を担当したというのはかなりスゴイことですね。
そんな前田親子の特集記事が今回公開されました。
初代RX-7を前に親子で語り合ってる写真が公開されていますが、これは以前ブログで取り上げた特集動画の時に撮影されたもので間違いないかと思います。
二人それぞれの言葉も取り上げられています(自動翻訳をベースに自分なりに解釈)
〇父・又三郎さんの言葉
「デザイナーという言葉はとても魅力的に聞こえますが、その背後にあるすべての作業は非常に骨が折れること」
「私はカーデザイナーになりたいと思ったことはありません、ある種のクリエーターになりたいといつも思っていました」
〇息子・育男さんの言葉
「父はエンジニアとしての訓練も受けた事からシンプルさと機能性を重視したデザインでしたが、私はそのプロセスを打ち破り、現在のマツダブランドの最も感情的な側面をデザインしています」
「父と私のデザイン表現は完全に異なりますが、デザイナーとして共通しているのは車に備わっている機能性に基づいてデザインしている事です」
父・又三郎さんは初代RX-7以外にも2代目RX-7前期、初代カペラ等のデザインに関わり、1987年までマツダデザイン本部長などを担当します。
疾風のごとき仕事ぶりから業界関係者から”風の又三郎”とも呼ばれていたそうです。
息子・育男さんは高校生の時に父・又三郎さんからプレゼントされたイタリアの家具デザイナー”エンツォ・マリ”のペーパーナイフに感銘を受け、デザインを志すことになります。
(前田育男さんの母校、京都工芸繊維大学の特集ページにも記載)
KIT INTERVIEW Vol.1 | 京都工芸繊維大学
1982年、大学卒業と同時にマツダへ入社しますが当初はデザイン部門では無く商品企画部に配属。
その理由は「マツダの社内規則で親子が同じ職場では働けなかったから」
デザイン部門に配属されるまでの間には”着せ替え可能なスポーツカー”という狙いで1987年に披露されたコンセプトカー「MX-04」の開発メンバーとしても活躍されています(カーグラフィック 2013.4月号内に記載)
親子が同じ会社内でこれだけ共通性の高い作品を積み上げている例はイタリアのイタルデザイン・ピニンファリーナ等のカロッツエリアが多い印象ですが、量産車メーカーではほぼ例が無いかもしれませんね。
多くの社員が集まる量産車メーカー内で伝統芸能の継承と似たような形でDNAが継承されている事例がマツダにあるのは個人的に嬉しいと思っています。
もちろん、前田さん親子以外の取り上げられない領域でも技術やDNAの継承によって今のマツダが成り立っていることは間違いないでしょう。
今後も”マツダのDNA”が進化していく事を願いつつ、DNAを受け継いだ方々によって創られた作品に触れられる事を楽しみにしたいと思います。