誕生35周年を迎えたマツダのライトウェイトスポーツカー「ロードスター」ですが、今回は誕生のきっかけになったエピソードを紹介したいと思います。
ロードスターは初期モデル(NA型)が1989年に誕生したので今年35周年を迎えており、マツダ公式HPでは35周年記念ロゴマークも公開(ダウンロード可能)
国内外で35周年を祝う動きが本格化していますが、ドイツマツダがロードスター誕生に関するエピソードを紹介していました。
ロードスターの開発ストーリーや秘話はマツダ公式HPや関連書籍でご存じの方もかなり多いと思いますが、ドイツマツダは15日付で「ボブ・ホールがライトウェイトスポーツのアイデアをマツダへ初めて提案してから45年」というニュースリリースを発信。
初代ロードスターの誕生秘話でもよく登場するボブ・ホール氏は元々米国MotorTrend誌のジャーナリストで、1979年春にマツダを訪問した時にマツダロータリー生みの親とも言える山本健一さん(当時は研究開発本部長)と面会。
この時に山本さんから次に開発する車のアイデアを求められて提案したのがRX-7とは対照的な"価格が安いライトウェイトスポーツ"でした(一例として提案されたのはトライアンフ・スピットファイアだったはず・・・)
実はボブ・ホール氏が提案した時期に関しては諸説あるのですが、一応マツダの公式リリースなので今年45周年となります(笑)
ドイツマツダのニュースリリースによると山本さんは1980年4月に箱根でトライアンフ・スピットファイアに試乗してライトウェイトスポーツの魅力を体感したとの事。
ボブ・ホール氏も1981年に北米マツダのR&D部門に入社して、その後出向してきた福田成徳さん(後にデザイン本部長として”ときめきのデザイン"を提案)やトム俣野さんなどと一緒にライトウェイトスポーツの市販化実現へ尽力。
その後は市販化を検討するためのプロトタイプを米国の街中で走らせて大好評を得た"サンタバーバラの冒険"などを経て、1986年の経営会議で社長になっていた山本健一さんから「この車には文化の香りがする」という一声で先行開発が決定。
その後平井敏彦さんが主査に名乗り出てのちのNAロードスター開発が進められていきます・・・。
かなり簡素にまとめてみましたが、改めて振り返るとロードスター誕生には本当に多くの偶然が重なっています。
山本健一さんと言えばロータリーエンジンのイメージがかなり濃いですが、ロードスター誕生にも深く関わっておられるので、山本さんがいなかったらマツダのスポーツカーはどうなっていたのか・・・。
個人的にはアイデアを提案したモータージャーナリストを実際に入社させているのもスゴイ話だと思っています(笑)
このような事例って意外にあるものなのでようか・・・?
短命に終わる事が多いスポーツカージャンルの中でロードスターが今も続いているのはライトウェイトスポーツというコンセプトや文化を変わらず継承している事が理由の一つだと思うので、この流れは次世代にも引き継がれていく事を期待したいです。
・石川県公式HP(令和6年1月4日から受付開始)
・富山県公式HP(令和6年1月5日から受付開始)
※:新潟県は現時点で義援金受け付けを行っていないようなので、日本赤十字を通じた義援金やふるさと納税で貢献するのがいいかもしれません。